2023年 あけましておめでとうございます!!
年末年始はお客様がいらしたので、1月4日に初詣。長崎バスの1日乗車券で、神社めぐりを楽しみました。
ルートは、AKUNOURA HUIS→伊勢宮神社→飽の浦神社→淵神社→若宮稲荷神社→諏訪神社。
500円の1日乗車券で、長崎市内を一気に回ることができます。
伊勢宮神社
AKUNOURA HUISを出発し、先ずは徒歩で「伊勢宮神社」へ。飽の浦公園の一角にあるこちらは、飽の浦の氏神様で「大日様」として親しまれています。一の鳥居の扁額は「伊勢宮神社」ですが、二の鳥居の扁額は「大日社」。明治の廃仏毀釈で社名が変更されたようです。飽浦小学校の創立百周年記念誌(飽浦のあゆみ)によると、大日社は元禄11年(1698)に創建されました。階段を上ると、二の鳥居越しに稲佐山の山頂が望めます。神社の下には、荒木宗太郎居宅跡の石碑があります。アニオー姫は、元和5年(1620)に帰化し、生涯この地で暮らしました。およそ400年前の史実として、ベトナムのお姫様と日本の商人とのラブストーリーが今年9月に蘇ります。日越外交関係樹立50周年を記念して、オペラ「アニオー姫」がハノイで公演されることになりました。いつか長崎で公演されることを期待します。
飽の浦神社
「伊勢宮神社」から、徒歩5分程で、「飽の浦神社」へ。正式名称は「釛山(こがねやま)恵美須神社」。寛永10年(1637)に市内の恵美須町から移転しました。境内にある神社の由来によると、恵美須町から移転する以前は、淵の稲佐浦の鎮護とされて、永く稲佐神社と称されました。その昔、目の前にある三菱重工の敷地は海で、金島(こがねじま)という島がありました。島の下半分に黄金が埋まっていると信じられ、神聖な場所とされていたことから、社名の由来になったようです。文化5年(1808)のフェートン号事件では、長崎奉行の御用場所にもなったという由緒ある神社です。
淵神社
飽の浦神社から、いよいよバスで淵神社へ。目の前のバス停「飽の浦神社前」から乗車し、「稲佐橋」バス停で下車。徒歩約7分(550m)で、淵神社に到着します。長崎バスの1日乗車券は、スマホにアプリ(長崎バスbyすぐのれーる https://nagasaki.mtibusticket.jp/)をインストールし、メールアドレスを登録すると、乗車券が買えます。わざわざ窓口に買いに行かなくて良いので便利です。淵神社の境内には、本殿の他に、三菱にゆかりのある高木稲荷神社や宝珠稲荷神社、キリシタン神社として珍しい桑姫神社があります。更に上には、十二支神社があり、今年の干支を祀った卯酉社にお参りしました。
若宮稲荷神社
「淵神社」の次は、バスで「若宮稲荷神社」へ。「ロープウェイ前」バス停→「宝町」→「大波止」→「風頭山」のルートで、バスを3本乗り継ぎました。乗り継ぎが複雑なので、観光客にはちょっと難しいかもしれません。ちなみに、タイミングが合えば、「飽の浦」から「風頭山」までは乗り換えなしで1本で行けます。風頭周辺は、亀山社中があった場所で、幕末の英雄、坂本龍馬ゆかりの史跡が点在しています。若宮稲荷神社は延宝元年(1673)創建、勤皇神社とも呼ばれ、龍馬や幕末の志士が参拝したことで知られています。昨年11月、神社の境内に「坂本龍馬神社」が建立されたというので行ってみました。龍馬神社の鳥居の前には龍馬像が鎮座しています。龍馬が駆け抜けた時代に思いを馳せながら、新たな気持ちで新年を祈願しました。
諏訪神社
「若宮稲荷神社」から続く朱塗りの鳥居をくぐり抜けて、坂道を下ると、中島川に出ます。そのまま数分歩くと、長崎の総氏神様、鎮西大社「諏訪神社」です。創建は寛永2年(1625)。193段の長い階段を上りきると、ちょっとした達成感が味わえます。三が日を過ぎたので、参拝客はまばらでしたが、今日から仕事始めと思しきサラリーマン風のグループが、商売繁盛のお札を求めたり、ご祈祷の順番を待っていました。
御朱印
お諏訪さんから御朱印をいただいてきました。今年の干支と一緒に飾ると、AKUNOURA HUISの玄関がお正月らしく華やかになりました。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。